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2010.08.30

旅の思い出 南仏編

ブリュッセルからアヴィニヨンへ.jpg

ブリュッセルからアヴィニョンに行くのは、
本来であればTGV直行便があります。
しかし・・今回切符が取れずリヨン経由でした。
思えば、ここからが不幸の始まりだったのです。
リヨンまでは約2時間。
それなのに、2時間半経っても到着する気配なし。
ただ、ここはヨーロッパ。
列車の時間は正確ではないと聞いていたものの・・
このままでは乗換えの列車に間に合いません。
日本人としては、流石に焦ります。
やがて、到着するはずの時間から1時間が経過・・。
周りを見渡したところで、誰も焦っている様子もなく・・。
もしかして、こんなこと日常茶飯事なん?
もう乗換え便に乗れるはずもありません。
段々腹が据わってきました。
ようやくリヨン駅には何とか到着したのですが、
全てのダイヤが混乱しているとかで、
人がごった返しています。
ここでは・・さすがに乗客も駅員も
顔色変えて皆んなバタバタしています。
ヴァカンスが始まっているので、人、人、人・・。
乗るはずだった便も遅れていてラッキーと思ったのも一瞬、
次の便はいつになるか分からないと駅員に言われ、ボー然。
とにかく、アヴィニヨンのTGV駅で待ってくれている
ジェラールさん夫妻に連絡しなければ!
こんな時、ホント携帯って有り難いですよね。
そこへ、アヴィニヨン行きの列車が入ってきました。
今年は、ヨーロッパも26年ぶりの猛暑。
もう暑いし、とにかくこれに乗っちゃえ!
と、乗ったものの見事にドンコウ・・
停車する度に、多くの人が乗ってきます。
まあ、そのうち着くだろうと思っていたら・・
乗ってから40〜50分経った頃、
皆んながこぞって列車から降りて行きます。
「・・・。」

途中下車.jpg

ワケ分からないうちに、
大きな荷物を抱えて知らない小さな駅で降ろされることに。

途中下車2 (2).jpg

水が与えられ、説明が始まりました。
次の駅で人身事故があったとかで、臨時バスに乗せられる模様。

途中下車2.jpg

アヴィニヨンの駅で待ってくれている葉子さんに
電話をして事情を話したところ、1時間かかるこの場所まで
迎えに来てくれることに。
2時間半もお待たせした上に、申し訳ないとは思いつつも
2度あることは3度ないとも限らないので、
厚かましくお願いしました。
そして・・予定より3時間半遅れて、
無事ジェラールさんご夫妻とやっとの思いで再会できたのです。
ブリュッセルを出発して、約8時間が経っていました。

道端の花.JPG

それでも、陽が高いのが救いでした。
道端の花などを楽しみながらプチドライブを経て
アヴィ二ヨンに着いた時には、陽がすっかり落ちていました。

アヴィニヨン.JPG

アヴィニヨン (2).JPG
▲演劇祭メイン会場の法王庁宮殿前

アヴィニヨンは城壁で囲まれた歴史ある街です。
この日はちょうど演劇祭で町中ライトアップされ、
とても賑わっていました。
連れて行って頂いたレストランも、
21時過ぎという時間にも関わらず満席。
凄い活気です。

アヴィニヨンのレストラン.JPG

ジェラールさんと葉子さんと再会.jpg

久しぶりの再会に、話がはずみます。
地元の人気レストランで美味しいブイヤベースをご馳走になり、
こうして長い長い1日が終わったのでした。
次回は・・
すてきなすてきなジェラールさん・葉子さん宅をご紹介します。
ここはシャンブル・ドットなので、1日1組だけですが、
宿泊客を受け入れてくれるお宅です。お楽しみに・・。

葉子さん宅 (3).jpg

2010.08.22

旅の思い出 ブリュッセル版パート2

ウィリーさん宅.jpg

ブリュッセルで忘れてならないもう一人の師匠、
ウィリー・ローゼン氏のこと。
ボワ・エ・デュポンでも2度程彼のフェアーをしたので、
ご存じの方もいらっしゃると思います。
パーク・サヴォアというレストランで彼が料理長をしている時に
師事しました。彼は、合気道の有段者でもある親日家です。
そういう意味では、当時、木場という(ちょっと変わった?)
日本人が気になって、気になって仕方なかったようです。
仕事をリタイヤしてからは、趣味で頼まれたら行くという、
ケータリングの仕事をしています。
その合間に勉強している日本語も大分上達しました。
太陽のような絶えない笑顔と持前の明るさは、
当時の木場をどれだけ支えてくれたか分かりません。
もちろん、仕事は厳しかったですが・・・。
人間的にとても魅力のある人物です。

ウィリーさん宅 (3).jpg

ウィリーさん宅 (2).jpg
▲オマールを盛りつけている器はア−ティチョーク

ウィリーさんのお宅で、彼が腕を奮ったフルコースを
ご馳走になりました。BGMは“佐渡おけさ”。
とにかく日本人以上に日本をこよなく愛しているのです。
とてもあったかいおもてなしに心休まる楽しいひとときでした。

ウィリーさん宅 (4).jpg

ウィリーさん宅 (5).jpg

彼の庭では、ズッキーニなどの夏野菜や季節の花々、
ブルーベリーや小さいけどいちご、枝豆も作っています。

ウィリーさんと.jpg

たまにしか会えなくても、会えばすぐに時間が戻るようです。

ウィリーさん宅 (6).jpg

夕焼けがとても美しいこの時間が、まさしく21時すぎ・・。

ウィリーさん・笹岡さんと.jpg

ウィリーさん夫妻と一緒に写っているのは、30年以上長きに渡り、
ブリュッセルで日本料理店「SAMOURAI」を
営んでいる笹岡さん。
今もベルギーで木場の弟子たちが修業に出る際、
必ずお世話になる方です。
フランス語がすばらしいので、
木場はいつも笹岡さんを頼りにしています。

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今回、お家にも招待して頂きました。
木立ちに続く、素敵なお庭があります。
もうひとりの経営者であり料理長である斎藤さんは、木場と貧乏時代を一緒に過ごした貴重な友人。
いつも日本以上に美味しい日本食を食べさせてくれるので、
ホームシックになることはありません。
斎藤さんは、朝の仕込みで慌ただしい中、車中の昼食用にと巻きずしを
わざわざホテルまで届けてくださり、「木場さん、じゃあ・・。」
とフツーに言葉少なに走り去って行きました。
(あっという間の出来事で、写真を撮る暇もなく・・)
木場とは対照的で物静かな、生田さんもそうですが、
どうしてムッシュ木場と相性がいいのか・・七不思議のひとつです。
毎年ボワ・エ・デュポンの階段を飾るめずらしいチューリップを
送ってくれる主でもあります。
こうして訪ねる場所、受け入れてくれる場所があるムッシュ木場の修業時代は、この上なく貧乏だったかもしれないケド、
誰より心豊かで充実した時代だったに違いないと思うのです。
人との関わりそのものが、人生に一番関わってくるんだなぁと再確認。

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歴史ある「プチパリ」とも呼ばれている街、ブリュッセル。
あっという間のブリュッセルでしたが、次は南仏アヴィニョンへ・・。
ここには、ボワ・エ・デュポンに偶然にお客様としていらして下さり、
今では友人であるジェラールさん・葉子さんご夫妻のお宅があります。
南仏のマルシェにならんでいる食材を見るのも楽しみです。

ブリュッセルからアヴィニヨンへ.jpg

さて、どんな旅の続きが待っているでしょうか?
美しい車窓から見える景色をよそに呑気に眠っているようですが、
この後・・とても大変な事態が待っているのです。
続きは、次回のブログで・・。

JAPANESE RESTAURANT「SAMOURAI」     28Rue Fosse aux Loups−1000 
Brussels
    Tel 02/217.56.39(日本語でOKです)

2010.08.18

旅の思い出 ブリュッセル版

グランプラス.jpg
▲ブリュッセルの象徴 グランプラス

7月に1週間の短い旅に出ました。

シャルルドゴール空港にて.jpg

12時間余りのフライトを経て、paris シャルルドゴール空港に到着。
そのままブリュッセル行きのTGVへ。
さて、どんな旅が待っているのでしょうか?
前回のブログにも書いたとおり、師匠であるデュポンさんへのお見舞、
旧知の友人達に会うことが大きな目的です。
ヨーロッパも類に洩れず、20年ぶりの猛暑。
こんなに空が青いのは本当に珍しいのです。
そして、夕暮れは21時。
短い旅ながら、長い1日が助かりました。

運河.jpg
▲運河の名残(ブリュッセル ベルマルシェ前)

ムッシュ木場がヨーロッパで修業をする時代は、料理人にとってフランスが羨望の土地にも関わらず、当時木場だけは、帝国ホテルの村上信夫料理長が紹介してくれるままベルギーを選びました。
どうしてもフレンチ=フランスとなるのは当然なのですが、
ベルギーは、貿易でも発展していましたし、海の幸も豊富でしたから、
とても食文化は豊かだったのです。
そして、そこで生涯の師であるクロードデュポン氏に出会います。
ムッシュ木場が7年の修業時代に得たもの・・。
素晴らしい料理人仲間との出会いが、
その後の木場の人生に大きく影響することになるのです。

ベルマルシェ前の運河.jpg

ベルマルシェ.jpg

このレストラン「ベル マルシェ」のオーナーエディさんも当時の
仕事仲間。地元の人たちに愛される正統派のシーフードレストラン。

デュポンさん.jpg

デュポンさんと2.jpg

そこへデュポンさんが登場。
怪我が元で歩くのが大変そうでしたが、元気な顔を見れてやれやれ。
以前は、余りしゃべらないイメージでしたが、
懐かしい友人との再会はこんなにも人を多弁にするのか・・
というくらい矢継ぎ早に喋り続けていました。
そんな72歳になったデュポンさんを見ながら、ムッシュ木場はこの人への恩返しは何もできていないなぁと思ったようで、
せめて1年に1度は会いに来ようと決心。

デュポンさんとエディさんと.jpg

デュポンさんと.jpg

そんな木場の心を見透かしたように、
次の再会はいつ?と聞くデュポンさん。
名残惜しく、ベルマルシェを後に・・。
ブリュッセル滞在中、
2番目の師匠であるウィリーさんのお宅にも伺いました。
続きは次回のブログで・・。

小便小僧.jpg
▲見てびっくり!世界最古ちっちゃなちっちゃな小便小僧

2010.08.11

残暑お見舞い申し上げます

毎日、毎日うだるような暑さ。
ここのところ夕方になると「ざー」っと雨が降り
ちょっとだけ息抜きできる時間があって・・
雨が降った後、耳を澄ますとかすかに秋の虫の声。
確かに秋もそこまで来ているようです。

ご無沙汰していた間に、大きな出来事が3つありました。
ひとつは・・
フランス共和国より農事功労章「シュバリエ」という勲章を
頂いたこと。
ひたすら大好きな仕事を1日1日頑張っていたら、
突然の思いもかけないご褒美。
「高松という土地で仕事できたお陰。」と、木場は言います。
今日まで出会った多くのお客様、
そこから広がった多くのご縁があってこそ。
この仕事を選んだことに誇りを持った瞬間でした。

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過日、授与式と祝賀会を開いて頂きましたが、
本当に大勢の方々がお祝いに駆けつけてくださり、
ムッシュ木場は大感激でした。
この章は、ムッシュ木場ひとりの名誉ではなく、
35年間もの長きに渡り、
ムッシュ木場を支えてくれているメートルド・テルの生田さんと
「半分こ」の名誉だと思っています。

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35年目に初めて生田さんに感謝の気持ちを伝えることができた
貴重な時間でもありました。
きっと「前世の奥さん」であったろう生田さんとの二人三脚は
これからもずーっと続きます。

「今、この瞬間を美味しく。」

どんな時もこの気持ちだけは忘れずに、
今日もいつもと変わらず頑張っていますので、
是非ボワ・エ・デュポンにいらしてください。

そして2つめ。
3年ぶりにデュポンさんに会いに渡欧したこと。

デュポンさんと.jpg

レストラン ボワ・エ・デュポンの語源は、
「木場チャンとデュポンちゃん」から・・。
Bois(ボワ)は、フランス語で「木」の意味。
そして、クロード・デュポン氏は、木場の生涯の師。
今の木場の料理は、全てデュポンさんが原点なのです。
怪我や病気が重なり、
長年ミシュラン2つ星を堅持した名店「レストラン クロード・デュポン」は、2年前残念ながら閉店してしまいました。
閉店に合わせて駆けつけられなかったこと、
デュポンさんのその後の容態、
ずーっと木場の気がかりでした。
この夏、ようやくデュポンさんとの再会が実現。
こうして木場の気がかりは解消したワケですが、
デュポンの名前を引き継ぐ唯一のレストランとしての重責も
改めて感じたようです。
旅の詳細は、また後日・・。

そして3つめは・・
HPのNEWSでご確認ください!